丸山古墳跡

面積82平方メートルばかりの円墳で、その頂きに長方形と宝冠杉の石塔2基が安置され、墳丘には老松が繁茂し、その西、やや低下したところに、濠(ほり)の跡らしい大小2つのくぼ地があり、一見貴人の墳墓であることが見取られ、その形状から人々は丸山と呼んでいました。大正12年、古墳の表土が鋳物用に好適の土であるということから採掘され、石棺、香炉など多くの埋葬物が発見されたが、今日のように考古学が発達していない時代で、調査研究等一切行われず、丸山古墳はその出土品とともに姿を消してしまいました。丸山古墳が在ったとされるこの辺りは現在では住宅地になっており、その面影は全くない。丸山古墳は1796年(寛政8年)に刊行された『摂津名所図会』では「兼好古墳」とあり、兼好法師がこの地に隠棲していたとの言い伝えが古くからあったと思われる。

所在地:大阪市阿倍野区丸山通2丁目

最寄駅:阪堺電鉄「松虫」下車、阿倍野の方に戻り、阿倍野警察署の手前の信号を西に入る約400m。東急ドエル・アルス前
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