待兼山古墳群

大阪大学豊中キャンパスのある待兼山丘陵では1983年に弥生時代の集落跡が見つかり、丘陵一帯が「待兼山遺跡」として国の文化財大腸に登録されました。以後、キャンパス整備工事などの際に発掘調査が行われ、弥生土器、須恵器、埴輪などが相次いで発見されます。なかでも、待兼山5号墳は1998年に発見された古墳であり、2005年の調査の結果5世紀後半に築造された直径15mの円墳があることが判明しました。発掘調査の結果、埋葬施設は既に失われていたものの、墓前に供えられていた須恵器や土師器そして墳丘に樹立されていた馬形は庭や家型埴輪をはじめとする形象埴輪円筒埴輪が、古墳を区画する周濠内から多数見つかっています。なお、5号墳は現在、駐輪場の地表下1.5mに地中保存されています。
この待兼山古墳群は1号墳から5号墳までが判明しており、5号墳跡には看板がある。
古墳場所
1号墳プールの横辺り(看板もそれらしき痕跡もなし)
2号墳博物館の裏辺り(看板もそれらしき痕跡もなし)
3号墳刀根山寮の近く(看板もそれらしき痕跡もなし)
4号墳刀根山寮の近く(看板もそれらしき痕跡もなし)
5号墳石橋方面の門から石場正面に坂道を下っていった所にある自転車置き場(看板あり)

書籍等によっては「待兼山古墳群」と「待兼山古墳」は別であるような記載があるようである(詳しくは分からないが)。大阪大学総合学術博物館の展示等を見学して調べた限り待兼山古墳群1号墳と待兼山古墳が同一のようである(所在地等から判断して)。それなのでこのサイト内では分けて表示することはしない。

待兼山古墳群1号墳(4世紀中ごろ)は豊中周辺では最古の段階の古墳の1つである。副葬品として中国製の鏡や3種類の腕輪型石器製品をそろえてあり稲川流域の有力者の墓と推測される。
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