古墳 | 場所 |
1号墳 | プールの横辺り(看板もそれらしき痕跡もなし) |
2号墳 | 博物館の裏辺り(看板もそれらしき痕跡もなし) |
3号墳 | 刀根山寮の近く(看板もそれらしき痕跡もなし) |
4号墳 | 刀根山寮の近く(看板もそれらしき痕跡もなし) |
5号墳 | 石橋方面の門から石場正面に坂道を下っていった所にある自転車置き場(看板あり) |
書籍等によっては「待兼山古墳群」と「待兼山古墳」は別であるような記載があるようである(詳しくは分からないが)。大阪大学総合学術博物館の展示等を見学して調べた限り待兼山古墳群1号墳と待兼山古墳が同一のようである(所在地等から判断して)。それなのでこのサイト内では分けて表示することはしない。
待兼山古墳群1号墳(4世紀中ごろ)は豊中周辺では最古の段階の古墳の1つである。副葬品として中国製の鏡や3種類の腕輪型石器製品をそろえてあり稲川流域の有力者の墓と推測される。
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